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長崎地方裁判所佐世保支部 昭和58年(わ)74号 判決

主文

被告人松本榮二を懲役五月に、同鍋島哲文、同林寛明及び同渡海優をいずれも懲役一〇月に処する。

被告人鍋島哲文及び同渡海優に対し、未決勾留日数中各九〇日をその刑にそれぞれ算入する。

この裁判の確定した日から、被告人鍋島哲文に対し四年間、同松本榮二、同林寛明及び同渡海優に対しいずれも三年間、それぞれの刑の執行を猶予する。(以下略)

理由

(罪となるべき事実)

被告人松本榮二、同鍋島哲文、同林寛明及び同渡海優は、谷原龍ほか一名とともに、昭和五八年三月二一日、アメリカ合衆国海軍原子力航空母艦エンタープライズ号の長崎県佐世保港への寄港に際し、同艦船の佐世保港への寄港反対を唱えて、被告人松本榮二の操船にかかる漁船幸栄丸(総トン数四・八〇トン)に乗船して同港内において、右漁船の航行による海上デモの集団示威行動を行つていたものであるが、

第一  被告人松本榮二は、正当な理由がないのに、前記幸栄丸を操船して、同日午前八時二七分ころから同日午前八時五五分ころまでの間に、アメリカ合衆国海軍が使用し、同海軍の管理する船舶及び水上機から一〇〇メートル以内の水域への立入りを禁じた佐世保港「C」施設水域内である佐世保市向後崎灯台より東方へ約六五〇メートルから約四六〇〇メートルの間の海域において、前後数回にわたり、同海域を航行中の前記エンタープライズ号に対し、約二〇メートルないし約六〇メートルの付近にまで接近し、同艦船から一〇〇メートル以内の水域に立入り、もつて合衆国軍隊が使用する区域であつて入ることを禁じた場所に入り、

第二  被告人鍋島哲文、同林寛明及び同渡海優は、共謀のうえ、同日午前八時四六分ころ、佐世保市向後崎灯台から東方へ約三三〇〇メートル付近の海域において、前記エンタープライズ号から一〇〇メートル以内の水域に入つた前記幸栄丸の違法行為を現認したことにより、巡視艇「ゆみかぜ」及び同「ひこかぜ」の各船に乗船してその船上から右幸栄丸に対して警告を与え、その違法行為を規制する職務に従事中の第七管区海上保安本部海上警備隊所属の海上保安官川尻猶利(当時五八歳)ほか一一名に対し、右幸栄丸の船上から、点火させた発煙筒及びガラスビン各数本を投げつけ、右「ゆみかぜ」に乗船していた右川尻猶利の顔面及び右「ひこかぜ」に乗船していた同水原和彦(当時二七歳)の腰部にそれぞれ発煙筒各一本を命中させるなどの暴行を加え、もつて海上保安官川尻猶利らの右職務の執行を妨害するとともに、前記暴行により右川尻猶利に対し、全治六日間を要する左頬部切傷の傷害を負わせた

ものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張の要旨)(略)

(当裁判所の判断)

一  日米安全保障条約、地位協定、刑事特別法の憲法適合性について

日米安全保障条約が内容とするわが国の安全保障に関する事項は、主権国としてのわが国の存立の基礎に直接関わり、また極めて複雑な国際関係を背景とした高度の政治性ないし裁量性を有する判断事項であり、かつ国民の生命・身体・財産等の権利・自由の安全確保の根幹に直接関わる最も重要な国家政策並びに国民的生存の根本事項であるから、当該事項に関わる法令や国家行為の憲法適合性の判断に際しては、司法権を担う裁判所としては、当該法令や国家行為が適法な手続に従つて成立しており、かつ民主主義制度の根幹に関わる国民の権利・自由又は個人の生命・身体・人格の根幹に関わる権利・自由の直接的かつ重大な侵害が問題となつていない限りは、立憲民主主義の制度原理に照らして明白に違憲無効と認められる場合を除き、その憲法適合性についての判断を、第一次的には国民の代表機関である国会に委ねて、その判断を尊重するのが相当である。

しかして、日米安全保障条約は適法な手続に従つて成立しており、かつまた同条約の前文及び各条項の規定の趣旨に照らせば、同条約は、アメリカ合衆国軍隊のわが国への駐留につき、その目的・範囲・規模・態様等を、わが国の安全に寄与し、もって極東における国際の平和と安全の維持に寄与する必要かつ最小限の限度に厳しく限局し、その限度の遵守を国家間において厳格に義務付けることによつて、日本国憲法九条規定の諸原則並びにわが国国民の有する平和的に生存する権利に最大限の配慮をなしているものと解される。もとより、憲法前文に規定する国民の「平和的に生存する権利」とは、国際平和の実現へ向けて積極的に努力するべき国家機関の国民に対する重大な責務を表明したものであるが、それ自体は立法府及び行政府に対する政治指針並びにその両府の抽象的作為義務を内容とする一般的・抽象的権利にとどまるものであって、その趣旨は国家機関による裁量を伴う権限の行使にあたつても憲法上十分に尊重されねばならないとしても、具体的権利として司法的保障の対象となつているのは、あくまで、憲法一三条によって個別化されるべき権利・自由であるというべきところ、日米安全保障条約によって、かかる個別具体的な権利・自由が直接的に侵害されているものとは認められない。右のような見地からすれば、憲法九条、一三条、九八条二項及び前文の趣旨並びに立憲民主主義の制度原理に照らしても、右条約、地位協定及び刑事特別法二条の各規定が明白に違憲無効なものとは認めることができず、またわが国に駐留するアメリカ合衆国軍隊をもって、明白に違憲な存在であるともいえない。したがつて、この点に関する弁護人の主張はいずれも理由がない。

なお、日米安全保障条約、地位協定、刑事特別法によつて前記の国民の重要な具体的権利が直接侵害される事態が生じているものとは認められず、また、刑法及び刑事特別法の刑罰法規の適用が問題となつているのみで、日米安全保障条約の直接的な運用に関わり、かつ運用の全般と不可分に関連した個別具体的な国家行為による具体的権利の侵害が問題となつていない本件においては、同条約の運用一般ないし運用実態にわたる司法審査は、差し控えるのが相当である。

二  憲法三一条違反の主張について

刑事特別法二条は、アメリカ軍が使用する施設又は区域のうち、同軍が入ることを禁じた場所への立入を禁止することにより、当該立入禁止区域内の事実上の平穏ないしアメリカ軍による安全な利用関係を保護することを目的としたものであり、一般私人が任意に立入を禁じた場所等への立入行為をも包括してその処罰の対象としている軽犯罪法一条三二号の規定とは、およそその規制の目的・対象を異にしたものであつて、右規制には一応の合理性が認められるうえ、右刑事特別法二条の罰則は、刑法の住居侵入罪と比してその法定刑が軽く定められていることに鑑みれば、その重罰化の程度も合理性を著しく欠いているものとは認め難い。したがつて、弁護人の主張は、理由がない。

三  正当行為ないし可罰的違法性の欠如の主張について

なるほど、本件各犯行は、いずれも表現の自由の一内容である集団示威行動の過程で敢行されたものではあるが、被告人松本榮二の判示第一の行為及び被告人鍋島哲文ほか二名の判示第二の行為自体は、各行為者の主観的意図に基づき衝動的に敢行されたものにすぎず、本来のデモ行動の過程で通常若しくは不可避的に随伴しうべき行動でなかつたことは明らかであり、また被告人らの右行為を正当防衛行為あるいは緊急避難行為として正当化するような客観的事由の存在も認められない。さらに、本件で、警備活動に当たつていた海上保安官においては、被告人らに対し、同人らの海上デモ行動が法規及び許可条件に従つて適法になされるよう注意・指導を与えていたもので、その警備の過程で、被告人らのデモ行動の権利を不当に制約するような行為に及んでいた事実は認められない。したがつて、被告人らの右各行為が、正当行為にあたらず、また可罰的違法性を欠くものでないことは明白である。

弁護人は、国民は、憲法一三条により、実力の行使を伴う直接的な抗議行動をとる権利としての反戦闘争の権利を有している旨主張しているけれども、法の支配を確立し、かつ議会制民主主義の政治制度を採用している日本国憲法において、かかる他者の法益侵害を直接的かつ具体的に伴う実力行使が反戦闘争の権利の名の下に許容されているものとは、到底解し得ないところであつて、その主張は理由がないことが明らかである。

四  公訴権濫用の主張について

本件公訴の提起が、被告人らの集団示威行動を差別的に弾圧する不当な政治的意図に基づいてなされたものとは認められず、その他公訴権濫用と認めるべき事情も全く窺われない。したがつて、この点の弁護人の主張も理由がない。

(法令の適用)(略)

(量刑の理由)(略)

(池田久次 岡原剛 田近年則)

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